At-Globe

「報道か人の命か?」ケビン・カーター氏のドキュメンタリー映画

 アフリカのニュースサイトを見ていたら、アカデミー賞の短編ドキュメンタリー部門にノミネートされた"THE DEATH OF KEVIN CARTER"という映画に関する記事がありました。

 ケビン・カーターさんは南アフリカのフォトジャーナリストでしたが、彼が撮影したある1枚の写真で一躍有名になり、しかし同じその一枚の写真のために命を失いました。

「ケビン・カーター氏の死(ハゲワシと少女)」をテーマにした映画ポスター
 上はこの映画のポスターですが、真ん中に映し出されているのがその問題の「一枚の写真」です。そのいきさつとはこんな話です。

続きはこちら→


 1993年カーターさんは、長期間にわたる内戦で多くの人が飢餓に苦しむスーダンに入りました。世界の人々にその悲惨な状況を伝えるためです。

 そしてある日、彼は「その場面」に遭遇したのです。それはスーダンの小さな女の子が飢えと渇きで今にも命尽きようとしているところでした。しかもすぐ傍には大きなハゲワシがじっと少女を見つめています。命尽きるのを待ち構えているのでしょうか。カーターさんは夢中でシャッターを切ったといいます。

 この写真で彼はピューリッツァ賞を獲得しました。しかしこの1枚の写真がニューヨーク・タイムズの一面を飾った後、彼は世界中から「写真をとる前になぜ少女を助けないのか」と、ものすごい数の非難を浴びることになりました。彼は受賞の数週間後に自殺したのでした。

 カーター氏が写真を撮影した際の状況については、これまで様々な報道がされてきました。彼は撮影後ハゲワシを追い払ったと語っていました。また、実はこのスーダンの少女のすぐ近くに母親もいたという説もありますが、事実かどうかはわかりません。

 このカーター氏の死をテーマにしたドキュメンタリー映画を製作したクラウス監督は、カーター氏についてこのように述べています。「この一枚の写真の中にカーター氏の複雑な心境が表れているような気がする。カーター氏は、このスーダンの少女にアフリカの苦しみを、そしてハゲワシに自分の姿を重ねて見たのではないだろうか。」

 また、カーター氏の娘はこう話しています。「私には(世界中からの非難に苦しむ)父が飢餓に苦しむ子供と同じに見えた。そしてこの世界こそがハゲワシだわ。」

 この映画が日本で公開されるかどうかはわかりませんが、皆さんはこの出来事についてどのように感じられたでしょうか?

↓今日の記事の参照サイト
All Africa(ニュースソース)
THE DEATH OF KEVIN CARTER(映画の公式サイト)
HBO(この映画を扱っているアメリカのケーブルテレビ会社)

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atglobeの投稿(16:38:45-2006-08-28) - カテゴリ: Think Global TrackBacks

コメント

kazesan masuyan wrote:

はじめまして。見知らぬ方のブログにコメントするなんて初めてのことですが、ついついこころが動きました。

ぼくも実はカメラマンです。世界の惨状を報道するというような使命感などは持ち合わせてはいませんが、撮るという行為の最中のことは理解できるような気がします。きっとどこかに共通した思いがあると思えます。

撮るときって、ぼくの場合はほとんどこころの動きなど感じていません。無我夢中なのです。それがこのスーダンのシーンのような状況だったら、なおさらだと思います。何かを伝えたいとかいうのは後からつけた思いだったりします。カーターさんは、その時、完全に無我夢中だった。結果として写真に定着され、それが評価を受けてしまう。その流れの中では、もう無我夢中だったカーターさんはいない。ぼくにはそんな気がします。

カーターさんがどうのと言う前に、戦争や飢餓があり、それに関わるもろもろがあることの関係をしっかりと見据えるべきかも知れませんね。そんなところに世界的な賞のあることの不思議、それをこそぼくは感じます。
2006-08-29 10:39:21

atglobe wrote:

To kazesan masuyanさん

コメントありがとうございます。
もう少し詳しく状況をお話しすると以下の通りです(全て真実かどうか
はわかりません)。

この写真が撮影されたのは、食料配給所のすぐ近くで、写真の女の子以外
にも多くの難民がいました。女の子は手首に白いバンドをつけていますが、
そのことからこの子は配給所に行ったことがあると判断できます。

カーター氏は写真を撮った後、ハゲワシを追い払い少女がまた歩き出すの
を確かめました。そしてタバコをくわえ、近くの木陰まで歩いたところで
涙が止まらなくなったといいます。

kazesanのおっしゃるように、カーターさんは撮影中は無我夢中だったの
かもしれません。
しかし撮影を終えてふと我に返ったとき、映画監督が言っているような
ジレンマに襲われたのかもしれません。

多くの批判こそ受けたものの、彼が撮影した一枚の写真はアフリカの
飢餓問題の深刻さを世界中の人々に強烈に印象付けました。
kazesanのおっしゃるとおり、戦争や飢餓の無い世界にすることが理想
です。
ただ、現実にこの地球上で起こっていることを世界中の人々が知ること
は、そのための第一歩なのかもしれませんね。
2006-08-29 12:03:27

ちゃめ wrote:

 深いお話ですね。
 コメントしようと思っていたのですが、コメントを考えるだけで一週間近く経ってしまいました。
 少なくとも、カーターさんが撮ったこの写真が、世界に窮状を訴えたことだけは疑いないですね。
 もし彼の立場に立ったら、写真を生業とする人の殆どは、彼と同じ行動を取ったでしょうね。
2006-09-02 21:48:27

キム・ゆ wrote:

 私がこの写真を初めて見たのは小学生の時でした。当時の私には、ものすごい襲撃でした。もちろん18歳になった今、初めてこの作品に出会ったとしても同じ衝撃を受けたでしょうが・・・。
 さて機会があってこの写真を思い出し、ネットで検索したところ、このページに巡り合ったわけです。
 
 カーター氏が伝えんとしたスーダンの惨状は、ピューリッツァ賞の受賞により確かに世界中に伝えられ、人々の心を動かしました。しかしカーター氏がそれによって自殺に追い込まれたのも事実。
 私はあくまでカーター氏を非難した側にはつかない考えですが、問題は、写真に写された事実ではなく、カーター氏の行動に目を向けたその社会です。同じ世界で起こる争いに目を向けてほしかった・・・。逆に言えば、現実に自分と関係がないスーダンのことから、目を背けている人がいる、とは言えないでしょうか。
 と語ってしまいましたが、偏った考えだけで物事を見るのはあまりよくないですよね。私もまだまだ、という気がします。
 
 それにしても”命”について訴えたカーター氏が、自ら命を絶ってしまったのは残念でなりません。ただこの死を無駄にしないように、人々が考える世界になっていったら少し報われる思いです。もちろんご遺族の方々はそうは行かないかもしれませんが・・・。
 
 最後に、このブログを作成されているBunya Takeuchiさんへ。私にそして多くの方々に、考える機会をくださって本当にありがとうございました。
 
2006-09-03 18:16:30

atglobe wrote:

To ちゃめさん
To キム・ゆさん

コメントありがとうございます。
本日業務多忙のため時間が取れません。
明日ゆっくりとお二人のコメントを拝見させていただきますので、
どうかご了承ください。
2006-09-04 12:55:23

atglobe wrote:

To ちゃめさん

>コメントを考えるだけで一週間近く経ってしまい…
どうぞ気軽にコメントしてくださいね。

>写真を生業とする人の殆どは、彼と同じ行動を…
そうですね。そして後からやりきれない気持ちと言うか、無力感のようなものが
込み上げてくるのでしょうか。
2006-09-04 21:22:27

atglobe wrote:

To キム・ゆさん

>同じ世界で起こる争いに目を向けてほしかった…
キム・ゆさん同様、この写真を見た世界中の人が衝撃を受けたのだと思います。
スーダンで起こっている現実を見せ付けられて、みんな「何とかしてやりたい」
という思いをもちながらしかし「何もできない」自分に苛立ちを覚えるような…。
その苛立ちがカーターさんに向けられ、「なぜその場にいながら少女を助けよう
と思わないのか?」という非難につながったような気がします。

>私にそして多くの方々に、考える機会をくださって…
記事の更新頻度が低いこのAt-Globeのブログですが、これからも時々遊びに来て
くださいね。
2006-09-04 21:41:13

Satoru wrote:

時々見せてもらってましたが初めてコメントします。この写真のことはずいぶん前にニュースで見たような気もしますがほとんど忘れていました。報道か人の命か?と今になって考えてみると、この写真がたくさんの人たちの目に触れることでその人たちがアフリカのことを考えるきっかけになったのなら意味のあることですね。
2006-09-06 09:59:21

atglobe wrote:

To Satoruさん

コメントありがとうございます。
そうですね。目に訴える「写真」の持つパワーのようなものを感じます。
写真一枚で多くの人がいろんなことを感じて、同じ地球上で起きている悲惨な
状況について考える。Satoruさんのおっしゃるとおりとても意味のあること
ですよね。
2006-09-07 10:26:01

はじめましてYagiといいます wrote:

たまたま見つけたんですが,興味を持ったので書き込みさせてもらいます.
カーター氏の行動は私は決して責められないという気がします.
きっと私が同じ立場にいたら同じ行動を取ったと思います.
スーダンには大勢の飢えた子どもがいるだろうし,その全員を助けることは出来ないわけですから。
2006-09-30 22:54:29

atglobe wrote:

To Yagiさん

コメントありがとうございます。
そうですね。もしカーター氏が写真をとる前にこの女の子を助けたからといって、
スーダンの子供全てを救えるわけではないですし、この女の子だってその場の難を
逃れるだけに過ぎません。実際撮影後に助けたわけですし…。
写真を世界の人たちに見せることによって、多くの人々がアフリカの現状を知った
ということも事実ですからね。
2006-10-02 20:00:56

Nobu wrote:

はじめまして。中学3年生のNobuといいます。
僕が、この出来事を知ったのは英語の教科書にこのことに関する文章が載っていたからです。
そこには最後に、
「Even a simple action, like taking a photo, can have two sides.」
直訳すると、『写真を撮ることのような簡単な行動でさえ2つの見方を持つことが出来る。』
その教科書には有名な「ハゲワシと少女」のほか2〜3枚の当時のスーダンの状況が撮影された(いずれもケビン=カーター氏撮影)写真が載っていました。

「ハゲワシと少女」。この写真を見て「自分がもし、こんな状況なら、いったいどうしただろうか」とまず考えました。その時の、カーター氏の状況・スーダンの状況・そしてシャッターを切ったその瞬間の状況、そのすべてを知らないその当時の僕が思ったことは
「シャッターを切り、そして同時に少女を助ければいい。」ということです。
今思えば、「なんと言う無責任な発言だ。」と後悔してしまいます。
僕は、「本当のこと」が知りたくて、今まで戦争や、さまざまな病気のことについてなどたくさんの映画・記事・ドラマ・本・資料館・そしてインタビューなどさまざまな方法で調べてきました。もちろん、そこまで熱心にやっていたわけではありませんし、そのことについて、一生をかけて考えていくつもりでもありません。でも、「一つのことに対し、ただ意見を言うのは簡単なこと。でも人間として、そしてこんな便利でありふれた生活をしている日本人として、さまざまな視点から物事を考え、しっかりと考えてから意見を言うべきなのではないか。」というあくまで僕としての一つの「プライド」から、 今回のこの問題は僕らが考えるべきことの一つではないかと思ったのです。だから、今、僕が出来る範囲で調べ、そしてようやく僕の意見、考えがでました。

新聞記者・やジャーナリストは情報を伝える人、命を助けるのは医者や自衛隊、消防士・・・
ということから考えるともし自分がそういう状況に立ち会えば「自分は今、なにをすべきか。」が一つに絞られると思います。僕は、写真を撮り続けます。そして自分の職業であるジャーナリストとしてのモットーである、「情報を伝える」ということに専念すると思います。


カーター氏は、正したったと思います。
このことによって世界にスーダンの状況が知らされたわけですし、このことについて考える人が何万人も増えたわけですから。

しかしこのようなことが起こっても、政府は何もしなかったという情報があったのはショックでした。
長かったですが読んでくださった皆さんに感謝します。そしてこれからも僕はいろいろなことを考えていきたいと思っています。

P,S 管理人の方へ
中学校3年生の分際で大きなことを言ってしまったかもしれません。
もしよければ、返信のほどよろしく御願いします。
2007-01-20 00:00:25

At-Globe竹内 wrote:

To Nobuさん

コメントありがとうございます。

>シャッターを切り、そして同時に少女を助ければいい…
>今思えば、「なんと言う無責任な発言だ。」と後悔してしまいます…

NOBUさんの当時の考え方が無責任とは思いませんよ。
カーター氏もその少女を救いたいと思ったはずです。しかしスーダンの現実は、
そこらじゅうに死に直面した子供を含む人々がいたわけで、このハゲワシに
狙われた少女を救うことだけで問題が解決するわけではありませんでした。

>新聞記者やジャーナリストは情報を伝える人、命を助けるのは医者や…

例えば自分がカメラマンだとして、目の前で多くの人が死にかけている状況下で、
すべての人を助けることは到底無理だが一人くらいなら救える、としたら、
人間としてあなたならどう行動するでしょうか?
一人の命だけを救っても仕方がない、とシャッターを切るべきなのか、それとも
一人でも救いたいと思うのか、きっと世界中の多くの人がカーター氏を責めた
理由はそんなところにあるのでしょう。

最近話題になっている、イギリスのウィリアム王子との婚約が噂されている
恋人のケイト・ミドルトンさんをめぐるパパラッチ騒動。
過去にはダイアナ妃を死に追いやったとされる彼らは、ひたすら金のためだけに
シャッターを押しているのでしょう。

カーター氏は当時、まさに現在のパパラッチが責められているように、あるいは
それ以上の非難を世界中から受けたのでしょう。
しかし、カーター氏には「世界中の人にスーダンの悲惨な状況を伝え、スーダン
の人々を救いたい」という信念があったに違いありません。

自分が今このシャッターを押すことで世界中の人にこの現状を知ってもらい、
一人でも多くの人々を救いたい、そう考え夢中でシャッターを切ったのでは
ないでしょうか。自分のしていることにある種の矛盾や疑問を感じながら…。
2007-01-21 00:48:59

☆Nami☆ wrote:

私もNobuさんと同じ、中学3年生です。英語の教科書にケビン・カーターさんの「ハゲワシと少女」の写真が載っていたので、同じように、ここにコメントさせていただきます。
「写真と撮る」か「少女を助ける」か。単純そうな行動に見えて、実はとても難しいことなのでしょう。カーターさんも写真を撮った後、タバコをふかしながら、木のそばで泣いていたそうです。
もし、自分がこの状況に陥ったら、怖くて足が震えて、どうすることもできなくなると思います。世間はカーターさんの行動をかなり批判していますが、私はそんな風にカーターさんを批判した世間を批判します。「フォトジャーナリスト」という仕事は「ありのままを伝えること」が大切ではないでしょうか。自分の信念を貫き、またそれで、たくさんのスーダン人が助かっているので、カーターさんの行動は、けっして間違いではないと思います。

スーダンなどの発展途上国では、飢えに苦しんでいる人たちがたくさんいます。その反面、日本やアメリカなどには、裕福に暮らしている人たちがたくさんいます。その差は歴然としています。
私は私にできることで、例えば給食を残さず食べるだとか、使えるものは最後まできちっと使うだとか、そういうことで、貢献していきたいです。

なんだか分かったような分からないような文章ですが、一言コメントでした。
ありがとうございました。<(_ _)>
2007-01-31 16:48:07

atglobe wrote:

To ☆Nami☆さん

コメントありがとうございます。

>自分の信念を貫き…カーターさんの行動は、けっして間違いではない…
Namiさんの意見に同感です。
実際この写真のおかげでアフリカの難民への世界中の人々の関心が高まったこと
は事実です。

一方で当時カーターさんを非難した人たちの気持ちもわからないでもありません。
おそらく人々は、ハゲワシに狙われる少女の写真を見せられて激しく動揺したの
だと思います。
「このかわいそうな少女を救いたい」そう思ったのでしょう。

そしてカーターさんも自分の行動にジレンマを感じていたのだと思います。
だから写真を撮ったあとに涙がこぼれたのでしょうし、世界中の人から非難を
受けたことに悩み"自殺"を選択してしまったのでしょう。
そう、彼もまた「このかわいそうな少女を救いたい」という気持ちがあったこと
には変わりないのではないかと思うのです。

>スーダンなどの発展途上国では、飢えに苦しんでいる人たちがたくさん…
その通りで、スーダンでは内戦が延々と続いています。
特にスーダン西部のダルフール地方では、アラブ系民族とアフリカ系民族の
争いが収まらず、殺し合い、略奪、女性や子供への性的暴力が日常化しています。
スーダン政府は他国からの干渉を嫌い、国連すら介入するのが難しい状況に
あります。
カーター氏は天国から今のスーダンの状況を見て嘆いているのかもしれませんね。

>私は私にできることで、例えば給食を残さず食べるだとか、使えるもの…
私たち一人ひとりができることは限られています。ほんの些細なことしかでき
ないかもしれません。
でもNamiさんがカーターさんのおかげでスーダンの悲惨な状況を知ることが
できたように、この地球上にある様々な問題を世界中の人が知って、みんなで
その問題について考えることが問題解決への第一歩だと思います。
これからもいろんな事実を見聞きし、いろんなことを感じたり考えたりして
いってくださいね。
2007-01-31 18:52:46

陽子 wrote:

少女とハゲワシ の写真を知ったのは、1年半程前に新聞記事でです。 
大きな衝撃を受け、どれ程涙が出たかわかりません。  その頃、出産したばかりでした、早産だった為痩せた子供は沢山のチューブに繋がれ病院の保育器の中・・・  この少女のお母さんはどうしてるんだろう?こんなに痩せた子供を見てどれ程辛いだろう・・・ この子は、どんな事を感じているのだろう・・・
この新聞記事を切り抜き手帳の中にず〜っと入れています。 
写真家のカーターさんがこの写真を撮ってくれたからこそ、沢山の人々に考える機会・感じる機会を与えたのは確かなことです。 パパラッチの様なお金儲けの撮り方だと、非難を浴びても仕方ない事ですが、そうではないと確信しています。  だから、亡くなられたのは非常に残念です。
争いや戦争には、こういう状況は避けられない事。 では、避ける為私に出来ることは何か?
資源を大切にし、周りの人となるべく争わないこと。 自分の出来る範囲で確かな所に寄付をする事と思っています。
2007-02-01 15:42:22

At-Globe竹内 wrote:

To 陽子さん

コメントありがとうございます。

>どれ程涙が出たかわかりません・・・その頃、出産したばかりでした・・・
ご自身の出産の直後にこの写真をご覧になったということで、ショックは
何倍にもなったかもしれませんね。
この写真の少女のことを他人事とは思えない、母の目でこの少女を見つめて
いらっしゃったのでしょうか。

>カーターさんがこの写真を撮ってくれたからこそ、沢山の人々に考える・・・
陽子さんのおっしゃるとおりだと思います。
それ以前にはスーダンの悲惨な状況を映像として見る機会はほとんどなく、
だからこそ世界中の人々が衝撃を受けたのだと思います。
そして彼を非難してしまった・・・。
彼が自ら命を絶ってしまったのは本当に残念ですし、悔しい気持ちにさえ
なってしまいます。

>資源を大切にし・・・なるべく争わないこと・・・出来る範囲で確かな所に寄付・・・
自分のできる範囲で何かをすること、とても大切なことですよね。
「どうせ何もできないから」とあきらめてしまっては本当に何も起こりま
せんから。
2007-02-01 18:54:57

学生 wrote:

こんにちは。
今、「ハゲワシと少女」に関するレポートを書いている学生です。
「絵はがきにされた少年」という本を読まれたことがあるでしょうか?
この本は「ハゲワシと少女」について書かれた本です。あの写真が撮影された状況がどのようなものであったか、この本を読めばわかると思います。
実際のところ、こちらに書かれている内容は若干の誤りが含まれているように感じます。

この写真の少女は、母親が国連機からの食料をもらうために一生懸命になっている間、ただ地面にぽんと置かれていただけなのです。そこへたまたまハゲワシが降りてきて、ケビン氏は偶然この写真を撮ることができたのです。ケビン氏が写真を撮り終わると、ハゲワシはどこかへ行ってしまったそうです。

写真は何らかのメッセージを含むものなので、それをどう解釈するかは人それぞれです。
でも、この写真がどのような状況で撮影されたものか、真実を知っている方があまりにも少ないのではないかと思い、コメントさせていただきました。
失礼なコメントお許しください。
2007-07-31 14:29:16

At-Globe竹内 wrote:

To 学生さん

コメントありがとうございます。

>「絵はがきにされた少年」という本を読まれたことがあるでしょうか?…
>この本は「ハゲワシと少女」について書かれた本です。…

読んだことはありません。
アマゾンの紹介文章などによると、新聞社のアフリカ担当特派員である
著者がエッセイ風にまとめた一冊のようですね。
是非読んでみたいと思います。

>こちらに書かれている内容は若干の誤りが含まれているよう…
>この写真の少女は、母親が国連機からの食料をもらうために一生懸命に
>なっている間、ただ地面にぽんと置かれていただけなのです。
>そこへたまたまハゲワシが降りてきて、ケビン氏は偶然この写真を
>撮ることができたのです。ケビン氏が写真を撮り終わると、ハゲワシは
>どこかへ行ってしまったそうです

ご指摘いただいた内容について私は知っていたのですが、記事文章には入れ
ませんでした(これまでのコメントのやり取りの中に一部記述があります)。
その理由は、諸説ありどれが本当なのかの確信が持てなかったからです。

カーター氏が撮影したときの状況が実際どうだったのかはわかりませんが、
見て見ぬ振りをしている先進国に住む私たちに「考える」きっかけを作って
くれたことは間違いなさそうです。
2007-07-31 18:53:20

Jun@LA wrote:

姉が若い頃からプロのフォトグラファーで、20代の頃には6ヶ月間、女3人でアフリカを縦断して写真や記事を新聞社などに連載していました。
そんな関係で、実は僕も日本に居た頃、少しの間ですが写真を撮って収入を得ていた事が有ります。

姉は報道やファッション雑誌などいろいろな分野の写真を撮っていましたが、僕はとても『プロ』と名乗るのが恥ずかしい程度の写真しか撮っていませんでしたし経験もとても薄い、そんな僕でさえ感じるのは、『写真は決して真実ではない。写真はあくまで撮影者の演出』と、強く感じていました。

勿論、あえて演出する事はあります(そちらの方が多いです)でも「真実を伝えたい!!」と感じた時に、写真で伝えられる(写る)のはホンの一部でしかないという事を痛感してしまうんです。

連続写真で撮っても、広角で撮っても、更には映像(ビデオ)で収めても、決して『真実』は伝える事は出来ないと痛感しています。

今回話題のカーター氏の一枚の写真にしても、背景にヘリコプターが写っていたら? 国連軍の兵士たちがどこかに写っていたら? あるいは食料を受け取る人たちの列が写っていたら・・・・それはきっと全く別な印象を与える画像になると思いますし、そしてそれすらも『真実』ではないと僕は感じているんです。

(職業で)屋外で写真を撮る時に、光の角度を計算したり、手前に空き缶が落ちていたら拾ったり、一番美しく写る、あるいは一番衝撃的に写る角度を探して、カメラを持って自分が走り回ります。
自分の目で見る時は、どの角度から見ても手前に空き缶が落ちていても、木陰のコントラストがあっても無くても、自分の目に写るものが「真実」として、あるいは衝撃として、美しさとして、脳に伝達されるんですけど、毎秒視点が変り、毎秒顔の向きが変り、しかも人間の脳は、仮に網膜に映っていても無意識で不必要なものから焦点を外したり意識の外に出して見なかったことにするという不思議な機能も兼ね備えています。
でも、写真はあえて手前に焦点を合わせるとか、絞りやシャッター速度で、更にはフイルムの特性で色や形や焦点を『演出』します。
だからと言ってカーター氏の写真が衝撃的ではないとか感動的ではないという意味ではないです。
写真はあくまで絵画と同じように創造(演出)された、一枚の芸術だと思うんです。
そして、そこに『真実』を求める事の方が矛盾しているようにも感じるんです。
これは、あくまでホンの少しの期間だけ日本でへっぽこ写真家として食べていた若造が感じた事です。
若かった僕は写真を撮れなくなりました。
あれから数十年経った今も、あの感覚は忘れられません。
2007-08-02 16:38:04

Jun@LA wrote:

連続ですみません。
> 若かった僕は写真を撮れなくなりました。
この部分の補足なんですが、多分kazesan masuyanさんが書かれているように、「無我夢中で無意識にシャッターを押している(押したいと思う)自分」を感じた事で写真が撮れなくなったのだと思っています。

無意識に『出来上がった写真(角度や色や焦点、構図など)』を意識して目の前にある『真実』から切り取って見ている自分を感じて怖くなったのだと思っています。
頭の中で常に『出来上がった写真』を見ている(構図を描いている)自分を感じ、「出来上がった写真ではなくて、いま自分の目の前にあるその『真実』を見つめたい・・・・」そう感じたのだと思っています。
2007-08-02 16:56:40

At-Globe竹内 wrote:

To Jun@LAさん

>姉が若い頃からプロのフォトグラファーで、…
>そんな関係で、実は僕も日本に居た頃、少しの間ですが写真を撮って
>収入を得ていた事が有ります…

Jun@LAさんは本当にいろいろな経験をしてきたのですね。
驚きと言うよりもはや敬服してしまいます。

>写真はあくまで絵画と同じように創造(演出)された、一枚の芸術だと思う…
>そして、そこに『真実』を求める事の方が矛盾しているようにも感じる…
>無意識に『出来上がった写真(角度や色や焦点、構図など)』を意識して
>目の前にある『真実』から切り取って見ている自分を感じて怖くなった…

Jun@LAさんのコメントを読んでいてふと思ったのですが、これは写真に限った
ことではない可能性もあるのではないしょうか?
ジャーナリズムという視点で考えてみると、写真だけではなく記事の文章にも
演出が加えられる恐れは常にあるのかもしれません。

素人の私が言うのも何ですが、ジャーナリズムに演出が加わることはとても
危険なことなのではないか、そんな気がしています。
2007-08-07 22:37:07

Jun@LA wrote:

> Jun@LAさんは本当にいろいろな経験をしてきたのですね。
いえ、小出しにしているだけでまだまだ出てきます(笑)
さすがにフランスの外人部隊で働いた事は無いですが・・・・

> ジャーナリズムという視点で考えてみると、写真だけではなく記事の文章にも
演出が加えられる恐れは常にあるのかもしれません。

そう思います。文章であれば筆者の感覚はもっと顕著に出てくるような気がします。
若い頃、日本でNHKラジオ○○支局とか、東京のFM局とかの取材を音声で受けた事が何度かあります。
放送を聴くと、なんと驚く事に(驚かなくなりましたが)僕の会話が切り貼りされて全く逆の意味になっていたり、Aの質問に対する返答をBの質問の後にくっつけて、別な意味になっていたり・・・・
オートバイ系の雑誌とか情報誌(Goods系の写真が多いタブロイド誌)などで、自分が写真付きの記事で載った事も何度かあります。
これも、経歴とか普段の生活とか、言った事と全く違う事が書かれているんですよね。
勿論、全てではありませんが、仮に一部言った事と違ったとしても、50歩100歩だと思えます。

写真や映像すら撮る人の意図が反映されると思いますから、後から編集する文字情報に演出(嘘)が加わっていても僕は驚かないです。
2007-08-08 16:38:17

atglobe wrote:

To Jun@LAさん

返事が遅くなり申し訳ございませんでした。

>>Jun@LAさんは本当にいろいろな経験をしてきたのですね…
>いえ、小出しにしているだけでまだまだ出てきます(笑)
>さすがにフランスの外人部隊で働いた事は無いですが・・・・

そうなんですか。
まだまだ出てくるのですね。
ちょっと怖い気もしますが楽しみにしております。

>僕の会話が切り貼りされて全く逆の意味になっていたり、Aの質問に対する
>返答をBの質問の後にくっつけて、別な意味になっていたり…

ひどい話ですね。
確かにマスコミはインタビューなどの話の中のほんの一部だけ切り取って、
インパクトのある部分のみを流したりするので怖いですよね。
Jun@LAさんの体験のように切り貼りされたりしたらたまったものではあり
ません。
2007-08-14 15:38:31

ミヤ wrote:

はじめまして。
ここまでじっくりブログを読ませていただき、TAKEUSHIさんの誠実なコメントへのお返事の返され方に敬意をもった次第です。

私は障害者の作業所をやっているものです。13年前に小学校の教師をやめ、33歳で自閉症の青年と2人で始めました。(既にその青年は7年前に亡くなりましたが)
教師をやめたとき、私は結婚しており、二人の子どもも小さく、周囲から多くの非難をあびました。(そのことは細かくはここでは書きませんが)
ただ、私自身、当時教育現場であからさまにすすめられようとしていた子どもたちをさらに厳しい状況に追い込みかねない施策に対し、それを「立場」上、遂行せねばならない自分自身に、日ごろ考え発言している「言動」と実際に日々やっている「行動」の中での深い矛盾を感じ、障害者とともに生きる「共生」の場づくりは、しいてはすべての子どもたちにっても、そして自分自身にとっても生きやすい環境をつくるはずだし、「学校」を離れてもやっていけるはずだと思い始めました。

「演出」・・・確かにそうとれば、このネットそのものさえ、そうでしょう。

すべての「表現」はある意味で作者の主観が入ります。
「真実」なるものは極端に言えば、見た人の数だけ、聞いた人の数だけ存在します。
そんなことを、常に修羅を歩いていたはずのカーター氏が今さら気づいていなかったとは思えません。

私は、むしろ責められるべきは(もし「責めるべきもの」があるとすればですが)、カーター氏の行った写真家としての行動ではなく、自死を選んでしまったその行為にあると思います。

カーター氏はすばらしい仕事をした、そう思います。それはこのブログに寄せられた多くの方たちと同感です。そしてそのプラスの面もマイナスの面も引き受ける覚悟で一枚の写真を発表し、結果として賞をうけたわけです。

そして、むしろスーダンの累々と重なる多くの死に対し、「裏切り」をしたとすれば、写真を撮影し、発表した行為ではなく、厳しい批判にさらされ、精神状態も追い込まれおそらく他者には想像できぬ状態であったことをあえて承知の上で言わせていただければ、自ら「死」を選んでしまったこと、そのことではないでしょうか。

やはり「生き続け」てほしかった。そう思います。たとえカメラを二度と握ることなく、写真を撮れなくなろうが(おそらく、彼にとりそれは「死」を意味したのかもしれませんが)、やはり生きて、語らずとも、この世にありつづけてほしかった。そのことでしか、多くの批判や、少女らの死に対しの「答え」(おそらく一生、葛藤し続けなければならなかったかもしれませんが)はなかったように思えます。

すべての人がそうですが(もちろん私も)、「これは」という生き方も「答え」もあるわけではありません。
そういう意味では、そのときそのときはそれこそ「無我夢中」で「あのときはやはりそうするしかなかったのだ」という渦中にありながらも、結果として後で振り返った時、「○○しとけばよかったのではないか・・・」そんな揺れの中で生き続けなければいけないのかもしれません。
いろいろ書きたりないところもあり、不十分かもしれませんが、彼のような人こそ、今の世界が必要としていたのではないか、そんな思いで書かせていただきました。
2007-09-10 11:57:41

atglobe wrote:

To ミヤさん

コメントありがとうございます。

>すべての「表現」はある意味で作者の主観が入ります。
>「真実」なるものは極端に言えば、見た人の数だけ、聞いた人の数だけ
>存在します。

なるほど確かに同じ場所で同じ事実を見ても、人によって捉え方は微妙に
違う可能性がありますよね。
二人の人が全く正反対の捉え方をする場合すらあるのかもしれません。

そういう意味では人によって感じ方が違い、その「表現」の仕方も変わって
くるのでしょうが、こと「報道」において考えてみると、できるだけ主観を
取り除いて現実をありのままに伝えようとするべきなのでしょうか?
これについて、カーター氏がもし生きていたら彼はなんと言うでしょうか?

>私は、むしろ責められるべきは…カーター氏の行った写真家としての行動
>ではなく、自死を選んでしまったその行為にあると思います…
>やはり「生き続け」てほしかった。そう思います。

これも実際のところは本人に聞いて見なければわからないのですが、彼の
心の中に激しい葛藤があったのは間違いないのでしょう。

ミヤさんはご自身の受けた他人からの中傷や非難を乗り越えて今日がある…、
カーター氏にも何とかして乗り越えて欲しかったですね。
2007-09-12 15:05:19

純@LA wrote:

To At Globeさま及び皆様
トピックずれ申し訳ありません。

To ミヤさま
以前通産6年間で、カナダを含む北米16州22教委およそ100校ほどの公立学校を公式訪問させていただいた時期があります。
日米の(公立)学校教育のシステムの違い自体は、大きいとは言え利点を取り入れる事は結構可能な差だと思うのですが、障がい教育に関しては日米の差を埋めるには国家の取り組みからしてとても長い年月がかかると感じました(今でも感じてます)

クリントン政権時代に生まれた(教育現場に競争理念を取り入れるという名目で学校経営の垣根を低くした結果とんでもない学校が林立した愚作の)チャータースクール・システムだけは、米国で疑問視されていると言うのにあっという間に日本での取り組みが進んだのが皮肉ですが・・・・

英才教育の学校や学級はもうほとんど記憶に残っていませんが、障がい学級や通級の障がい教諭クラス、州立の障がい学校(基本的に教委立公立校は普通学校・普通学級編入制なので、州立障がい学校は日本の養護学校と違い重度重複の児童・生徒ばかりの学校でした)、どの学校も学級も教諭もそして生徒の顔も、10年経った今も忘れられずにしっかり記憶に残っています。
他にも、ホームレスの為のワシントン州の学校とその校長の誇らしげな顔、就任した年には学校内で3件の発砲事件があったというテキサスの中学校の当時36歳の女性校長(就任後3年で全校の生徒たちからアネキとして慕われるようになった頼もしい校長の人情味のある話の数々)、他の学校を放校になったり退学させられたり少年院帰りの子たちばかりの高校の校長が「彼らにとっては俺(ここ)が最後の砦なんです」と言い切った親分肌の校長とそれに従う教諭たちの面々・・・・

そこにあったのは、言葉やシステムや立場や罰則ではなくて、動物同士のギリギリの感性での信頼関係ばかりでした。

全くのトピックずれで大変申し訳ないのですが、一生忘れられない教育現場を沢山拝見させて頂いた記憶が鮮明に蘇って来たのでついコメントを追加させて頂きました。
頑張って下さい。
2007-09-23 20:03:12

受験生 wrote:

 私は将来青年海外協力隊に入りたいと思っている学生です。そのきっかけはこの1枚の写真でした。
 今、私は大学受験を目の前に控えているのですが、原点に戻ろうとパソコンを開いたところ、この記事を見つけたので思わずコメントしてしまいました。

私はカーターさんの行動に感謝しています。だって、彼があの写真を撮っていなかったら私は今ここにはいなかったかも知れません。私の中で、それくらいの影響があった写真なんです。

きっと私みたいな人はきっと世界中にたくさんいるんじゃないでしょうか?それだけでも彼が写真を撮ったことには意味があったと私は思います。なのに彼の行動は世界中の人から非難を浴び、あげくのはてには自殺に追い込まれてしまったなんて…悔しい気持ちでいっぱいです。

私は彼の死を無駄にしないためにも、この少女のように今も世界中で苦しみ続けている人たちを救うためにも、今自分に出来ること(つまりは私の嫌いな受験勉強なんですが;)を精一杯がんばります。

そしていつか青年海外協力隊に入り、子供たちの明るい未来を創る手助けをしていけたらいいな。って思ってます!!!なので応援よろしくお願いしますwww

長文失礼しました。
2007-10-24 20:59:33

atglobe wrote:

To 受験生さん

コメントありがとうございます。

>私は将来青年海外協力隊に入りたいと思っている学生です…
>きっと私みたいな人はきっと世界中にたくさんいるんじゃないでしょうか?
>それだけでも彼が写真を撮ったことには意味があったと私は思います。
>なのに彼の行動は世界中の人から非難を浴び、あげくのはてには自殺に
>追い込まれてしまったなんて…悔しい気持ちでいっぱいです。

受験生さんのおっしゃるとおり、カーターさんが撮った一枚の写真に心を
動かされた人は世界中にたくさんいると思います。
でも実際に自分が援助活動に向かうということには二の足を踏んでしまう
人が多いのも事実だと思います。
そういう意味で受験生さんの勇気と決断に感服しています。
応援しています。
がんばってくださいね(受験勉強も)。
2007-10-26 11:00:24

asami-marin wrote:

初めまして。たまたま見ていたサイトで、この写真が掲載されており、この写真を撮った方が受賞のすぐ後に自殺していたというコメントを読んで、詳しいことを調べるために検索したところ、こちらのサイトに行きつきました。私は准看護師を目指して勉強中の未婚の母です。自分が娘の出産という命の神秘、そして大事さから命にかかわる仕事をしたい、人や世界の役に立ちたいという志をもって始めた勉強ですが、今更ながらに命というものの偉大さや神秘さに驚かずにはいられません。そして、そのなかには命の持つ合理性というものも含まれます。それは、ヒトに限らず、すべての動物や細菌などの微生物が持つ共通点です。そして、命を守ろうとする基本的な防衛本能も。私たち人は、知識がある故に時として自分たちを基準にして物事を考えがちですが、人体の仕組みや微生物、栄養と代謝などを学んでいると、自分が持っていた価値観が段々小さなものに思えてきて、私自身や、この世で一番愛おしい娘と、身近にある命すべて...そこら辺に咲いている名も知らない花や、それに群がる虫、空中に漂う眼には見えない細菌でさえも、生きようとしてしているというレベルで考えてみるとなんら変わりはなくなってしまいます。大事な娘でも、病気にかかって彼女が喘いでいるとき、彼女の体の中で、細菌もまた自分の子孫を残そうと闘っている。そう考えると、ただ単にどちらが悪でどちらが善かといった問題ではなくなってきます。だから、私は、この写真を見てただ単に、自分に何が出来るのか、これから何をすればいいのか...を強く感じただけでした。もし、命の営みに自分が係ることができるとすれば、私はその人の「生きたい」という気持ちを精一杯支えることだけですから。ケビンさんの写真に、色々と意見はあると思います。それが個人ですから。だけど、一方的に批判するのはどうなんでしょうか?大きな意味でいえば、私たちも加害者なのですから。あの女の子が私の娘でなかったのは、ただの偶然で、ああ、うちの娘で良かった、で済む問題なのでしょうか...。他人を批判するのは容易です。だけど、こういった現実を直視した。揺らぎようのない。厳粛な写真を見て。
他人を批判する前に自分のあり方や自分がいかに恵まれているかを先に認識すべきではないでしょうか?
自分の全てを犠牲にしてこの世を救え、とは言いませんけど、自分いかに幸せかを先に知って、それ以下にいる人を少しでも手助けすることを実行するには。
ケビンさんが撮った写真のように、ありのままの現実をとらえた瞬間の、魂に嘘をつけないような事実をとらえた瞬間は絶対に必要です!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
世界の平和を祈ることより、世界の惨事を嘆くことより。
自分に出来る何かを実行していくことが大切ではないでしょうか?
少なくとも私は、今の現状をなんとかしたい。その為に何が障害なのかを調べて、すごくわずかでもいい。でも、必ず前進するための努力と結果を残そうと思います。
その為には少しでも多く知識を持って、人間として頼られるナースになるぞ!!!!!!!!
自分の良心を磨かせてくれたケビンさんに、追悼と心からの感謝を込めて。
2008-05-25 01:18:38

atglobe wrote:

To asami-marinさん

コメントありがとうございます。

>大事な娘でも、病気にかかって彼女が喘いでいるとき、彼女の体の中で、
>細菌もまた自分の子孫を残そうと闘っている。そう考えると、ただ単に
>どちらが悪でどちらが善かといった問題ではなくなってきます

そこまで考えるのはすごいですね。
私も道路を歩いている時など、無意識に小さな虫を踏まないように注意して
いることがありますが、さすがに細菌レベルの命のことまで考えたことも
ありませんでした。

ところで先日新聞記事で目にしてはっとしたのですが、今この世界の死因の
第一位は飢餓です。
毎日およそ25000もの人々が飢餓あるいは飢餓に関連した死因で亡くなって
いるそうです。
そのうち4分の3は、5歳に満たない子供です。
知っていたつもりでしたが改めて突きつけられるとつらいですね。

ところでasami-marinさんは準看護師を目指しておられるのですね。
がんばってぜひ夢を実現してくださいね。
2008-05-27 20:29:37

Jun@LA wrote:

僕は無宗教なのですが(特定の宗教だけを100%信じる事をしないというだけで、どの宗教にも学ぶ部分が沢山あると思っています)確か仏教(の一部?)では、善と悪を否定していたような気がします。

善悪中毒という言葉もあるようです
http://www.j15.org/GoodEvil...

20年ほど前に友人たちと『道頓堀でおぼれていた子犬に沢山の人が集まったが誰も助けようとせず、一人の男性がスーツ姿で無言で川に入り子犬を助け、そのまま何も言わずに立ち去った』という新聞記事について議論した事があります。

子犬を助けた男性が『善(正)』で、何もせずに見守っていた人たちは『悪(負)』だったのか?というテーマだったのですが、100人の人が見守っていたら100の状況が発生するはずだと思うのです。
例えば、ずっと失業状態にいて妻が形見のかんざしを質に入れて(時代設定が古い?笑)やっと決まった就職の為に揃えてくれた新調のスーツと靴を身に付けていたAさんは、妻の気持や子供たちの明日からの生活を考えると、子犬を助ける為に川に入る事が出来なかった・・・。
このAさんと、川に入って子犬を助けた人とを単純に善悪、正誤で判断する事は出来ないはずだと思えます。

同様に、カーター氏と写真に写っていないところでヘリコプターから支援物資を下ろしているであろう兵士・・・・更には銃を持って家族を残して命を懸けて平和の為に戦っている兵士・・・・あるいは単純に収入の為に戦争に参加している兵士(これすら悪だとは言い切れないと思っています)、ボランティアの国際医療部隊の医師・看護士たち・・・・100人の人がそれぞれの状況と背景と判断を持って生きている。
そこには他人が評価する統一基準は存在しないと、僕は強く思っています。
2008-06-05 02:58:30

atglobe wrote:

To Jun@LAさん

返事が遅くなり失礼いたしました。

善と悪を判断する…、難しい課題ですね。
人は皆違った価値観を持っています。
知識の範囲も違えば、置かれた環境も違います。
そうであれば善と悪の判断は必然的に人によって異なることに
なるのでしょうね。

Jun@LAさんが挙げてくださった例のように、一人ひとりが多様な
状況下で判断をし行動をしているわけで、その人の状況も判断に
至った経緯も知らずに、他人がその善悪を判断するのは危険なこと
かもしれません。
2008-06-14 09:38:58

天国のたんぼ wrote:

私はこの写真を見てハゲわしを食べてしまうのか?と思いました。ハゲワシもそれを望んで傍らにいてるのかな と瞬間的にそう思いました。
2008-09-13 08:42:22

なが wrote:

このドキュメンタリー映画を是非観たいのですが、どこで手にはいるか教えていただけませんか。ここでおたずねしてよいのか心配でしたが、教えていただけませんか。よろしくお願いいたします。
2008-09-14 02:55:05

Jun@LA wrote:

なが様

映画の入手先も知らないのに横から失礼します。
最近AtGlobe様は多忙のようで返信に少し時間がかかるようです。
僕自身はこの映画の入手先を知らないのでコメントを控えていたのですが、返事のコメントが付かないのも他の方もご存じないのではないかと思います。

私的な判断ですが、決してご心配なされている理由↓で
( ここでおたずねしてよいのか心配でしたが)
コメントが付かないわけではないと思われます。ご心配なく。

観た事は無いのですが、ドキュメント映画は米HBO製作の
http://www.kevincarterfilm....
ではないかと思われます。
サイト上の情報では、まだDVD版は販売していないようです。
2008-09-18 03:33:07

なが wrote:

Jun@LA 様 丁寧なコメントをいただき有り難うございます。サイト上での販売はしていないとのこと、残念です。

中学生に英語を教えているのですが、ご存じの方も多いように中学3年生の題材でこの写真を扱っています。言葉で語るよりも映像で伝えることができたらと思い、入手先を探しておりました。
ドキュメント映画は米HBO製作の http://www.kevincarterfilm....も検索してはいたのですが、他に入手する方法をこちらでご存じの方がいらっしゃれば…と思い、掲載しました。

また、NHKで放映されたいう、カーター氏のインタビューがあるとも聞いているのですが、
どこかで手に入れることができないかと探しています。ご存じの方がいらっしゃったらコメントをいただければうれしいです。
2008-09-23 03:02:15

Jun@LA wrote:

HBOのDeath of Kevin Carterとは違うんですが、こんな映像も発見しました。
http://technorati.com/video...

ナレーションの声が学生みたいな若い人たちの声なので、なんとなく高校生の研究発表っぽいところが授業の教材としては興味深い教材になるかも知れませんね。

でも英語の教科書にこの題材というのも・・・・むずかしいですね。
これもIntegrated Subject(複合教科・・・?)の一環なんでしょうか。

10数年前からアメリカの教委の中には、(小・中学校で)、社会科の教科書を使って数学の授業をするとか、国語(英語)の授業をするといったIntegrated subject (Integrated Curriculum)が行われ始めましたが、『教科の枠にとらわれない』というコンセプトは、日本のゆとり教育とからんだ総合学習ではちょっと方法も目的もちがってしまったような気もしますね。
2008-09-23 05:36:14

atglobe wrote:

To ながさん

コメントありがとうございます。
返事が大変遅くなり申し訳ございませんでした。
また、Jun@LAさん、私の代わりにいろいろと調べていただきありがとう
ございます。

Jun@LAさんが提供してくれた情報通り、公式サイトによると、まだこの
短編映画のDVDは一般に発売されていないようです。
また、少し調べてみたのですが、ダウンロードできるところは見つけられ
ませんでした。

探している途中で、この映画とは全く無関係ですがケビンカーター氏を
テーマにした投稿動画を見つけましたので参考までにお知らせします。

サイトアドレスは
http://people.famouswhy.com...

「Related Famous Videos」の「A Kevin Carter Case Study」(2段目右端
の黒い画面に英語のスーパーが出ているもの)あたりは内容も悪くなさそう
です。
ただしすべて見たわけではありませんのでご自身でご判断ください。
また、この動画利用によって何かしらの問題が発生する可能性を否定
できませんので、ご注意ください。

また何か新情報が入手できましたらお知らせしますね。
2008-10-31 11:11:35

ダルマFOX 2008 wrote:

「なが」さんのことを知っている、大阪府の中学生です。三省堂の教科書であのハゲワシの写真は何度も見ました。ほんまに衝撃を受けて、言葉で表現できないくらいでした。
 故ケビン・カーター氏は、現実の厳しさを写真という形で表現した20世紀の偉大な写真家だと思います。ハゲワシの写真で賛否両論の意見があるけれど、僕はカーター氏を支持します。カーター氏が亡くなられたことは、非常に残念に思います。いろいろと知ることができました。
2008-12-09 17:16:32

atglobe wrote:

To ダルマFOX 2008さん

コメントありがとうございます。

>ほんまに衝撃を受けて、言葉で表現できないくらいでした。
>故ケビン・カーター氏は、現実の厳しさを写真という形で表現した
>20世紀の偉大な写真家だと思います。
>ハゲワシの写真で賛否両論の意見があるけれど、僕はカーター氏を支持します…

この写真が世に発表され、世界中の人たちは"残酷な現実"が存在する事を
思い知らされたわけですよね。
しかしながら、ダルマFOX2008さんがおっしゃるように、この写真は
あまりにも(残酷で)衝撃的だったため、カーターさんが責められることと
なったのは、なんともやるせない気持ちです。
2008-12-12 09:40:35

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